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(註1)
ロックフェラー、ジョン・ディヴィソン
John Davison Rockefeller (1839-1937)
アメリカの“石油王”。貧しい薬の行商人の息子として生まれ、19歳で最初の起業。その後、石油精製業に転じ、1870年にスタンフォード・オイル社を創業、その後10年ほどの間に業界の9割近くをその傘下に収めたが、その貪欲なまでの支配欲はしばしば社会の批判も浴びた。現役引退後は慈善事業に巨額の寄付をするなど、社会事業家としても知られた。
(註2)
カーネギー、アンドリュー
Andrew Carnegie (1835-1919)
アメリカの“鉄鋼王”。少年時代に家族でスコットランドから移住するが破産、数々の職業を経験した後、南北戦争期(1861-65)に鉄鋼業に投資して成功、自らも同業界に進出した。1875年にはイギリスの最新技術を投入した工場を設立し、これを足がかりとしてライバル会社の買収をすすめた。引退後は莫大な資産を教育、研究機関に寄付した。
(註3)
スタンフォード、アマサ・リーランド
Amasa Leland Stanford (1824-93)
アメリカの政治家・鉄道業者。ウィスコンシンで弁護士として開業した後、'61年にはカリフォルニア州の知事に就任。同時にセントラル・パシフィック鉄道の発起人団に参加、やがて同鉄道の経営者に転じ、巨額の富を得た。'85年に上院議員となった。一方、ヒル、ジェイムズ・ジェローム(James Jerome Hill
(1838-1916))もアメリカの鉄道業者。'75年に鉄道用の石炭を補給する会社を起業、'90年にグレートノーザン鉄道会社を創立、'93年には最大のライバル会社であったノーザンパシフィック鉄道を支配下に収め、北西部の鉄道業界を手中にした。
(註4) モーガン、ジョン・ピアポント
John Pierpont Morgan (1873-1913)
アメリカの金融資本家。コネチカットで生まれ、ドイツの大学に学ぶ。'57年に金融業界に入り、いくつかの会社に勤務した後、'95年にJ.P.モーガン商会を興す。同年、深刻化していた経済不況を打開すべく、私財を投じて巨額の政府債を購入したほか、'07年の恐慌に際しても金融界を危機から救い、経済界の指導者として尊敬された。一方芸術にも深い理解を示し、メトロポリタン美術館を世界的水準におしあげたことでも有名。
(註5) レーマン、リリー
Lilli Lehmann (1848-1929)
ワーグナーの友人であったソプラノ歌手の母に声楽を学び、'65年にデヴュー、バイロイト音楽祭にも出演。'86年の渡米以降は劇的で力強い歌唱を特徴とする“ソプラノ・ドランマティコ”として活躍、19世紀末の最高女性歌手として称賛される。モーツァルトとワーグナーを得意とした。著書に「我が歌唱芸術(1902)」がある。
(註7)
メトロポリタン歌劇場でのワーグナーオペラの演奏
草創期のメトロポリタン歌劇場では、指揮者ザイドルの強いリーダーシップのもと、バイロイト音楽祭に出演した歌手が次々に来演、ワーグナーが精力的に上演された。「パルジファル」以外の彼のオペラはすべて、1880年代のうちに同歌劇場でアメリカ初演を終えている。ワーグナーのオペラが、まだ「現代音楽」の部類に属していたこの当時の時代背景を考えれば、これはやはり特異な現象とすべきであろう。
(註9)
マクダウェルの矛盾
マクダウェルが1891年から翌年にかけて作曲した「管弦楽組曲第2番」では、5つある楽章のそれぞれの主要主題すべてが、アメリカ先住民の諸部族の歌に取材したものとなっている。本文中でふれた彼の「信条」と照らしあわせると、理解に苦しまざるを得ない。
(註10) フォスター、ステファン・コリンズ
Stephen Collins Foster (1826-64)
地方の富裕な実業家の家に生まれ、早くから音楽的才能を発揮したが、正規の音楽教育は受けていない。'44年に最初の歌曲が出版され、作曲家としてデヴュー、とりわけ'50年代には「おおスザンナ」、「草競馬」、「故郷の人々」、「あるじは冷たい土の下に」など、今日も愛唱されている名作をつぎつぎに発表した。作品の大ヒットにも関わらず、フォスター自身はごく僅かな報酬しかうけとれず、盗作もされるなど、その境遇は終生めぐまれなかった。「オールド・ブラック・ジョー」、「夢見る人」は、生活が貧困をきわめていた最晩年の傑作。自ら農場主として黒人たちと生活をともにした体験が、彼の音楽の根底に深く根ざしていると指摘される。
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