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<「新世界」交響曲
作曲の経緯>
作曲に至るまでの背景につきましては、このページをご覧下さい。
(詳しい経緯については、また触れるとも思いますが、ここで簡単に掻い摘んで記載させて頂きますと・・・)
作曲者アントニン・ドヴォルジャークがアメリカに来て2年目となった1893年の夏休みに、故郷のヴィソカーへ一時帰国することとなりましたが、このとき「祖国へのお土産」として、自分がアメリカ滞在中に聞いた黒人霊歌や先住民ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)の音楽の要素を盛り込んだ交響曲を作曲しようと思い立ち、1893年の1月から5月にかけて、夏休み前のアメリカ滞在期間中に作曲されたのが、この交響曲第9番「新世界より」です。
ちなみにこの交響曲の「新世界より」という副題は、作曲者自身により作曲後に付けられたものですが、おそらく「新世界」からの「祖国へのお土産」ということで、この「新世界より」というタイトルが付けられているのでしょうね。
(当時白熱化していたアメリカ国民音楽論争の巻き添えを食った末に付けられた題名との説もありますが・・・)
<「新世界」交響曲の形式>
外見上の形式で見ますと、「交響曲の父」ハイドン以来の伝統に基づいた典型的な4楽章形式の交響曲(*1)ですが、その内容を見ますと、第1楽章から第3楽章の旋律が第4楽章にも回想の形で断片的に現れるというワーグナー張りの「循環形式」(同じ旋律が何度も調子や形を変えて登場する形式)をとっていたり、旋律もアメリカの黒人霊歌や先住民の音楽形式の一部を取っているなど、曲の感じからすれば、今までの彼の交響曲とは全く異質なもの(*2)となっております。
これらの形式の取り方には、ワーグナーオペラが当時のアメリカで流行していた(初演指揮者のザイドルも有名なワーグナーオペラ指揮者だった)や、作曲者自身もワグネリアン(ワーグナーオペラの大ファン)だったことも影響していたと思われます。
また、旋律についても、ドヴォルジャーク自身がアメリカで初めて耳にした黒人霊歌や先住民の音楽や、それに関連した文学作品(特にロングフェロー作の先住民ネイティブ・アメリカンたちを謳った詩集「ハイアワサ」には、第2楽章の旋律の霊感を得たとの逸話がある)に霊感を得て、これに自分自身(故郷のチェコ)の音楽を重ね合わせたところもあります。
(*1)
ハイドンが17世紀に打ち立てた「交響曲」の形式は、4つの楽章(お互いが結びついた小曲)からなり、それぞれの楽章も以下のような形式で作るようになっております。
(それぞれの形式の詳細は煩雑になりますので、ここでは省きます。)
しかし、これらの形式も、交響曲第6番「田園」で第5楽章まで作ってしまったベートーヴェン以降、徐々にその形式が発展し、その形を様々に変えることになります。
第1楽章:序奏を伴うソナタ形式(二つの主題の提示と展開、終止部からなる形式)
第2楽章:比較的緩いテンポで演奏される歌曲形式
第3楽章:メヌエット系(中庸なテンポの3拍子の舞曲)の舞曲形式
ベートーヴェン以降はスケルツォ(早い3拍子の舞曲)が主となる。
第4楽章:速いテンポのソナタ形式
(*2)
もし機会があれば、彼の交響曲第8番と第9番「新世界より」を聴き比べてみて下さい。前者が土俗的(田舎臭い)イメージを感じるのに対し、後者はある種洗練された都会的なイメージを感じるでしょう。
(それ故、業界用語で彼の交響曲第8番は「ドボッパチ」と言われることもあります。しかし、この略称が似合うほどにこの曲は土臭さを感じずにはいられません。)
正直言いまして、この「新世界」交響曲は、彼の作品の中では最も有名でありながら、最もドヴォルジャーク色の薄い作品なのです。
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