スピリチュアルとブルース〜祈りの歌・嘆きの歌〜 |
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<ブルース> スピリチュアルの項で、奴隷解放前のアフリカ系アメリカ人たちのなかでスピリチュアルは彼らの生活すべてに結びついたものであったと書きました。そして、現在置かれている苦境から神がいましめを解き放ってくれることを祈る歌がヨベルの歌である、とも。そして、現実にいましめが解かれる日がきました。リンカーンによる奴隷解放です。その結果、彼らはスピリチュアルを歌わなくなりました。それに変わって、神を高らかに賛美する歌、ゴスペルが生まれました。 しかし、待ち望み、ようやく手に入れた自由は、彼らにとってけっして心地よいものではありませんでした。自由なアメリカ国民となった彼らは、アメリカ人でありながらアメリカ社会に受け入れられない現実と直面することとなったのです。それはまた、自由なアメリカ人となった今では、奴隷時代には必要でさえなかったお金がなくては食事もできないと言う現実でもありました。 神に願い続けた自由。それが得られた時の失望。その中から生まれた歌がブルースでした。ブルースは、現実に失望したアフロ・アメリカンたちの、いわば世俗化したスピリチュアルでした。 アフロ・アメリカンの音楽は生活のすべてに結びついている、という原則は、ブルースでもそのまま当てはまります。だから、彼らはこう歌います。 Good mornin' blues, Blues, how do you do? Yes, blues, how do you do? I'm doing all right, Good mornin', how are you? おはよう、ブルース、 ブルース、ご機嫌いかが? ええ、ブルース、ご機嫌いかが? 私は調子いいわ、 おはようブルース、あなたはいかが? ブルースの起源 ブルースがいつから歌われるようになったかは明確にはなっていません。アフロ・アメリカンの文化に関心が集まり、文字で記録されるようになった時にはすでにブルースは生まれていたのです。 先ほど、ブルースのことを、世俗化したスピリチュアルと書きました。しかし、扱う内容以外にも、音楽の様式としても、スピリチュアルとブルースには大きな違いがあります。スピリチュアルが集団で歌われる歌だったのに対し、ブルースは主として個人で歌われる歌でした。 ブルース以前にも、アフロ・アメリカンによって個人で歌われる歌はありました。主に野で、自由な形式で歌われたこの歌は、ハラーと呼ばれています。 ハラーがすでに奴隷時代から歌われていたという記録がわずかながらありますが、盛んになったのは奴隷解放後です。これは奴隷集団が解体され、アフロ・アメリカンたちが自由な個人となったことに呼応しています。しかし、一旦自由になったアフロ・アメリカンたちは、アメリカ社会に受け入れられない現実に直面し、再びコミュニティーを形成していきます。そんな中で生まれたのがブルースなのです。ですからブルースは、生活の最も深い部分に結びつき奴隷コミュニティーを団結させたスピリチュアルの精神と、自由な個人の歌ハラーの様式を受け継ぐ音楽、といえるのかも知れません。 ブルースはアメリカ社会で受け入れられない苦痛、飢えや貧困、挫折した恋愛を歌います。生の苦しみや喜びをありのままに抱擁します。そしてブルースの歌い手であるブルースマンは、同じ出口のない苦境であえぐアフロ・アメリカンたちの共感を呼び起こし、共同体へと導くと同時に、彼らがあくまで孤立した個人であることを暴く司祭の役割を果たしたと言えます。 カントリー・ブルースのスタイル 変に思えるけど、テキサスはミシシッピとサウンドが違う。ミシシッピとルイジアナは近いけど、それがアラバマ、ジョージアに行くとまたぜんぜんちがうんだ。変なようだけど、実際そうなんだ。<マッディー・ウォーターズ>ブルースが最もアフリカ的な形で発展したのは、ミシシッピーの河口のデルタ地域でした。この時期・地域のブルースはデルタ・スタイルと呼ばれます。デルタ・スタイルは、後の都市のブルースと比較すると非常にプリミティブなものでした。形式にしても典型的な12小節(後述)を越えるものは少なく、和音もあまり考慮されません。歌そのものも、叫びと歌の中間といった、ハラーに近いものも多く見られました。伴奏は普通、歌い手の弾くギターのみでしたが、時にはセカンドギターやフィドル(バイオリン)、ハーモニカが伴いました。
ミシシッピ・デルタよりもアフロ・アメリカンの人口比が低いテキサスでは、プリミティブなデルタ・ブルースよりも西洋的に洗練されたブルースが歌われました。形式は典型的な12小節を基本としていて、和音進行も典型的な進行よりいくつか和音を付け加えたりもしました。 南北キャロライナやジョージア、フロリダの各州では、アフロ・アメリカンの比率が比較的低い上に、リンカーンの奴隷解放以前に奴隷が解放されていたため、民族の融和が進んでいました。そのため、ブルースにも西洋音楽の要素がよりおおく取り込まれています。たとえば、有名な「ケアレス・ラブ」(ルイ・アームストロングのアルバム、「ルイ・アームストロング・プレイズW.C.ハンディー」のなかでは「ラブレス・ラブ」と、一部歌詞を変えて歌われています)の様に、西洋の民謡を取り入れていたりします。音楽の様式も洗練されていて、12小節という型よりも、和音の進行に支配されて音楽が形作られています。この地方のこの様式のブルースは、イースタン・スタイルと呼ばれます。 ここまでに記したのブルースのスタイルは、総称してカントリー・ブルースと呼ばれます。 第1次世界大戦を機に、デルタ・スタイルからはシティ・ブルースが、テキサス・スタイルとイースタン・スタイルからはアーバン・ブルースが生まれます。カントリーブルースに対して、都市のブルースです。 |
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