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2.認められない作品
さて、音楽院在学中に一等賞を取ったこともあって、私は作曲に対してちょっとばかり自信を持っていた。
そして、卒業試験も「作曲」で受験し、見事に合格した。
そう、ベートーヴェンのように作曲で飯が食えるんじゃないかってね。
でも、そう旨くはいかなかった・・・
音楽院で一等賞を取ったものの、実社会では何の箔にもならなかったのだ。
そこで、私は作曲家としてのデビューを果たそうと、(よくあるパターンだが)「ベートーヴェン賞」という、当時もっとも権威のある作曲コンクールに、私の自信作であり、始めての作品番号「1」を付したカンタータ「嘆きの歌」で応募した。
そのドラマチックな展開たるやワーグナーのオペラ並じゃないかってね。
ところが結果は見事落選・・・
(今思えば、ワーグナー臭さが漂うような、この作風が仇になったのかも・・・)
その時はさすがに審査員を恨んだね。
でもまあ、考古学者級古典フェチのブラームスに超ウルトラ級ワーグナー嫌いのエヴァルド・ハンスリックなど、審査員の連中はバッハやベートヴェンのような(当時私が時代遅れとして見向きもしなかった)古典的な形式を好んだ連中だったから無理もないか・・・
と、いうことで作曲家デビューに見事失敗した私は、食い扶持を指揮者の道に求めざるを得なかった。
でも指揮者は一つの楽団を音楽面で支配できる職業だから、いつか私の作品を思うとおりに発表できる機会があるかも・・・という期待もあったんだ。
そして、これが私の「さすらう」人生の始まりだった・・・
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「嘆きの歌」初演時の
プログラム表紙
1901年,マーラー自身の指揮で、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団が演奏
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